鎌倉と島津氏の繋がり…東海道
嘉永六年(一八五三)八月二十一日の辰の刻(朝八時)のことで、その二ヵ月ちょっと前にはペリーが浦賀に来航して日本はさらなる激動の時期を迎えようとしていた。
篤姫は陸路大坂に向かい、大坂から川船で淀川をさかのぼって伏見へ向かった。
伏見から京都市中へ。
京都では御所の北側に隣接する近衛家を訪れて養父・忠熈を表敬訪問した。
さらに京都から東海道を下って十月十五日には大井川を渡り、十月二十二日には鎌倉に到着し、鶴岡八幡宮に参詣した。
新暦で考えると本殿に登る石段の脇の大銀杏の葉が黄葉している時候で、それは篤姫の目にどう映ったのか。
二ヵ月をかけたなんとものんびりした旅だが、途中東海道を外れて鎌倉・鶴岡八幡宮に参詣したのには理由があった。
薩摩・島津家の発祥である。