鎌倉と島津氏の繋がり…三郎から忠久
三郎は惟宗姓をあたえられ、七歳になったとき実父の頼朝に会い、のちに元服するとき烏帽子親をつとめた畠山重忠から「忠」の字をもらって「忠久」と名乗ることになった。
忠久はそののち重忠の娘を妻にしている。
貞嶽夫人である。
頼朝とこのような関係にあったからだけでなく、忠久はきわめて優秀な人物だったから文治元年(一一八五)に日向・島津荘(宮崎県都城市)の下司職(荘官)に任じられ、翌二年には地頭職に出世して巨氏の祖・島津忠久の墓島津姓と丸に十の字の紋を拝領した。
このころの島津荘は宮崎県南部と鹿児島県全域の南九州摩・大隅・日向の南九州三か国の守護職に任じられた。